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思い出のチケット争奪戦(Part1)

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今回、日本国内での開催試合は、共催国である韓国や過去のW杯開催国と比べても、かつてないほどの激しさで開催前からのチケット争奪戦が繰り広げられました。

私にとって、あの1年にわたるチケット争奪戦もW杯の想い出の一部です。 今思うと、我ながらかなり愚かだなと思うところもありますが・・・

これは日本国内で可能だったチケット入手方法のうち、私が実行した手段とその成果?の記録です。


1.JAWOC国内一次販売(2001年2月15日〜3月14日)


今回のワールドカップのチケット販売は、前回のフランス大会で問題になったチケットの空売り問題や、 ブラックマーケットへの流出等を防ぐという名目のため、FIFAによる一元販売が行われました。 そのFIFAからの委託を受け、今大会のチケット発行業務を一手に請け負ったのが英国のバイロム社。

(後にこのバイロム社のおかげで、悲喜こもごものドラマが繰り広げられることになるのですが・・・)

そしてバイロム社を通じて、日本国内分として割り当てられたチケットを JAWOC(日本ワールドカップ組織委員会)が販売していました。

その第一次販売は、まだ出場国も確定していない大会の一年以上前に行われました。 (この時点で確定していたのは前回優勝国のフランスがA組、開催国の日本がH組、韓国がD組になるという事だけ)

申込み方法は二つ。
一つは郵送により申込書を送付する方法。そしてもう一つがインターネットによる申し込みでした。 これらは「一般販売枠」といわれた販売分。

そして更に、開催地の住民のための販売枠もありました。 これは「開催地住民枠」。こちらは郵送のみの申し込みでした。

申込書は、「一般」が郵便局、「開催地住民」が市役所等にて貰うことが出来ました。

私は一般販売分を郵送で申し込みし、さらに開催地住民分(新潟県)も申し込みました。


一般販売枠分 開催地販売枠分

この申込書一枚で、「申込者」及び「同行者を最高三人まで」について六試合分の申し込みが可能でした。 (開催地枠はその開催地での試合のみ申し込み可能)

で、一応事前のアナウンスでは、

「申込者」として申し込めるのは一通のみ。 また「申込者」「同行者」としても複数の申込書で同じ試合を申し込むことは出来ない、などの厳しい約束事があり、 これを守れない申し込みは事前にチェックして抽選前にリジェクトされる。

またチケットには観戦者の名前が記載され、当日には本人確認のための身分証明が必要になる可能性がある、 という話になっていました。

私はこの時、決勝・新潟で行われる三試合・さいたまと横浜での日本戦を申し込んだんですね。 この時は、決勝や日本戦は無理でも、地元での試合はどれか当たるだろうな〜なんて呑気に思っていました。

この一次販売では、前述の通りインターネットによる申し込みも行われたのですが、システムの不具合、多大な アクセスに対するインフラの不足などが原因で、結局最初から最後まであまり機能していなかったようです。

そして6月中旬、抽選結果の発表。
ドキドキしながら結果確認のTELをかける。結果は・・・・・・・・・・・

全て落選。結構ショックを受けました。

で、どうも色々な話を聞くと、どうやら事前にアナウンスのあった「重複はリジェクト」などという事は全く行われていなかったようで・・・・。 リジェクトされていたのはOCRで読み込めなかった申込書だとか、そんなのばかりだったようです。

この時に味わった「正直者はバカを見る」という教訓が、後々の役に立ちました。


2.JAWOC国内二次販売(2001年12月10日〜12月19日)


国内での第二次販売は、全ての出場国が出揃い、また一次リーグの組み合わせ抽選が終わった直後に、 電話による早い者順での販売が行われました。

この時は、まず事前に申し込み時に使う電話回線を登録し、一回線につき一つの登録番号(8桁)をもらい、 その番号によって

の三種類に振り分けられました。私もこの時は10回線ほど掻き集めて登録しました。

そして、優先的に電話できる予備抽選の結果が発表された12月5日。
当選番号は、12/10からの人が下二桁76、12/11からの人が同じく49・50・53との発表が・・・

正直言って、8桁の登録番号を見たとき、ここまで露骨な切り分けが行われるとは思っておりませんでした・・・ 当然、該当する番号なし。全て12/13からでした。

この時点で、ほとんどワールドカップ観戦をあきらめかけている状態でした。 ようやく懸賞などに手を出し始めたのもこの頃です。

そして12月10日。予備抽選に通った幸運な人を横目で眺めつつ、悶々とした時間を過ごす。 が、どうやら全申し込みの1/100の人たちだけでさえ、チケット申し込みの電話回線はパンク状態らしい。 当初、12/13にはペンペン草一本すら生えていない状態になるかと予想していましたが、どうやら それ程までには捌けない状況に。と同時に、12/13からは一体どうなってしまうのかと更なる不安が募りました。

運命の12月13日。仕事の合間に電話を (というより電話の合間に仕事をしていたといった方が正しいか) かけまくっておりましたが、ずーっと発信規制のアナウンスしか聞けませんでした。

自宅にいる家族にもかけてもらうよう、申し込みの手順を書いて渡し、同じようにかけまくって貰いましたが 全然ダメだったそうです。相当疲れたのか、帰宅したとき、グッタリ弱っておりました。 「二度とやらない」との弁。本当にごめんなさい。

翌14日。昨日と同様、こっそり電話をかけまくる。やはりなかなか繋がらない。 携帯電話機をリダイヤルの度に持ち替えるのが面倒だったので、イヤホンを付けてひたすら続ける。

そして、14:30頃でしょうか。手元に持った携帯の液晶画面に、突如「通話中」の文字が・・・・ そう、奇跡的に電話が繋がったのです。

あの時のドキドキ感は忘れる事が出来ません。 この時点で、決勝トーナメントや日本戦、人気国同士の対戦など注目カードは売り切れていましたが、 地元での開幕戦(アイルランド−カメルーン戦)が残っておりました。

オペレータのお姉さんと話すとき、ドキドキしすぎて 「ろろろろ6月1日の、にににに新潟の・・・・」とうまく舌が回らなかったのを覚えています。 この時は本当にうれしかった。

その後、プレッシャーから解放され、電話も控えておりましたが、12/15だったでしょうか。 まだいくつかのカードが残っていたので、ふと思い出したように電話再開。 そして今度はかけ始めて30分後ぐらいに、なんとまた繋がったのです。

(この時全然繋がらなかった方、本当にごめんなさい)

で、新潟での二試合目(クロアチア−メキシコ戦)を申し込みました。

それにしても、短期間にあれだけのリダイヤルをする事は、今後の人生でももう無いと思います。 本当に疲れました。

その後いくつかの人気イベントのチケットの申し込みをしましたが、この時のリダイヤル地獄に比べたら 全然大した事ありません。いい経験(というには辛すぎたけど)させて貰いましたよ、御園さん!


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