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オラジュワン引退によせて(2002・11・20)


アキーム・"ザ・ドリーム"・オラジュワンが引退を発表した。原因は、腰痛の悪化のためだそうである。

サッカー好きだったナイジェリアの少年が、バスケットボールを初めて知ったのは16歳の時。 そして18歳で渡米後、名門ヒューストン大学で3年連続ファイナルフォー進出。1984年のドラフト会議では 米国出身以外の選手としては、史上初めてドラフト一位のピックアップを受ける。 NBAでも、通算三度のNBAファイナル進出。そして二度のワールドチャンピオンに輝く。

そんな彼に敬意を表し、人はいつからか彼を"ザ・ドリーム"と呼ぶようになっていた。

この私にとっても、彼は正に「ドリーム」な選手であった。

しかしそれは、彼が異国の地からアメリカン・ドリームを掴んだ男だからではない。

私にとって彼こそが、それまで想像もつかなかった「夢のような」アメリカン・バスケットの凄さ・迫力を 初めて教えてくれた選手だからである。


−1982年サントリーボール

今でこそ衛星放送やインターネットの普及により、自宅にいながらリアルタイムで試合の結果が判るほどの 環境が当たり前のようになっているが、私がバスケットボールを始めた当時の日本国内では、 NBAやNCAAの試合を目にしたり、試合の結果を知ったりする機会はほとんどなかった。

その中で、本場のバスケットボールを日本にいながら楽しめる数少ないイベントの一つが、 年に1回「サントリーボール」という名称で行われていた大会である。

今考えると凄い事だが、この大会、NCAA所属のチームを三校日本に招待し、 「NCAAのシーズン公式戦」を日本国内で行っていた。

そして1982年のサントリーボールでは、バージニア大・ヒューストン大・ユタ大と、これまた 今思うと信じられないほど、名門チームを集めて行われたのである。

この大会では、一人の大物選手が来日した。

それはオラジュワンではなく、後にNBAヒューストンロケッツでオラジュワンとチームメイトになる バージニア大のエース、ラルフ・サンプソンである。

実はこの時、ヒューストン大の一員として、あのクライド・ドレクスラーも来ていたのであるが、 その当時の私にはそこまで注目選手の情報を得ることは出来なかった。 とりあえず「サンプソンって選手が凄いらしいから、注目して見よう」とその程度だったのである。

この大会の第一戦は、バージニア大 対 ヒューストン大。

注目のサンプソンは、残念ながら体調不良のため欠場。 一方のヒューストン大も、長旅の疲れなのかエースを欠いたバージニア大にいいところなく敗戦。 自宅のテレビで見ていた私も、それほど興奮する事は無かった。

そして第二戦。1982年12月17日に行われた、ヒューストン大 対 ユタ大戦である。

この試合、オラジュワンは、まさにゲームを支配する大活躍を見せた。

特に後半に見せた三連続のダンクは、本当にバックボードが壊れるのではと思わせる ものすごい迫力であった。

それこそ今では、ダンクはNBAのテレビ中継やビデオ、国内でもJBLのゲームは勿論、 大学や高校生の試合でもよく目にすることができ、特に珍しいものでも無い。

しかし当時、田舎の中学で細々とバスケットボールをプレイしていた私にとって、この時の オラジュワンのダンクは、正に異次元のプレイだった。

世の中に、こんな凄いプレイをする人間が存在すること自体が信じられなかった。
あまりの衝撃に、興奮して体が震えた。

本場アメリカのバスケットボールの高さ・スピード・迫力の凄さを初めて知ったのである。

この日のオラジュワンのスタッツは、35分間の出場で30得点・18リバウンド・8ブロックであった。


−ドリーム・シェイクよりも・・・

後で知った事なのだが、この日のオラジュワンの成績は、渡米後の自己最高記録だったらしい。

それまで大型センタープレイヤーの一人でしかなかったオラジュワンが、チームの中心選手となり、 その後「ドリーム」の称号を手にするきっかけとなった試合が、実はこの試合だったのである。

私だけでなく、オラジュワン本人にとっても、「ザ・ドリーム」な試合だったのだ。

その後、ヒューストン・ロケッツに入団、94年・95年には二年連続でワールドチャンピオンとなり、 バスケットボールの歴史に名を残す偉大なプレーヤーとなったオラジュワン。

NBAでの絶頂期に見せたゴール下での信じられないようなスピンムーヴは、「ドリーム・シェイク」と呼ばれ 世界中を驚かせた。

今思えば、1982年当時のオラジュワンのプレイはここまで洗練されているはずもなく、一言で言ってしまえば だったのかも知れない。

しかし、あの日のオラジュワンのプレイは、私にとって生涯忘れる事の出来ないものであった。 後に目にする事になるマイケル・ジョーダンのプレイでさえ、この時のオラジュワン程の衝撃を感じる事は できなかった。

私にとって、今でも、オラジュワンといえば「ドリーム・シェイク」ではなく「あの三連続ダンク」であり、 アメリカン・バスケットの凄さといえばあの日のオラジュワンのプレイなのである。

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